車で弟を迎えに行き乗り合わせて道中、どんな話になるだろうか、こんな話が出ればまぁ終活の一歩としてはしめたもの、というような事を弟と話しながら実家入り。
父、母、私、弟の4人での近年まれに見る家族会議。いやこんな改まってなど随分長いこと無かった。
「何をどう話したらいいのかわからんけど、色々伝えておかなアカンから・・・」と母が切り出したのは、いきなり死んだ時の話からだった。
タイムリーな事に、母は最近お葬式やお墓・遺骨などをテーマにした番組を観たらしく、瀬戸内での海洋散骨や樹木葬が良いと思った、などと言った。
葬式のあげ方、身内だけの家族葬でいい、遠方の親戚を呼ぶのかどうか、ご近所さんはどこまでお知らせするのか、宗派はどうしたらいいか、まずはそんな話だった。
色々素直に悩みながらも話してくれる母の隣で、時々父が「そんな事ばっかり言っとるんや・・・そんなもん心配せんでええゆうのに」と呆れたように口を挟む。
いや父よ、逆に何について心配しなくて良いと思ってるんか?
なんぞ起きた時に一切合切うまく立ち回ってくれるんか?
それとも高齢で病気を得ていながらも、いつまでも生き続けられると思ってるんか?
何が心配いらんのか、その根拠は何なのか、教えてほしいけど今は母が色々話し始めたところなので、父のそれには付き合っていられない。
そして母名義の多少の遺産をどうするかなど、そんな話であった。
せっかくの機会だったので自分が使っているエンディングノートを見せて、こんな風にまとめていくといいんやで、と父母だけに終活を押しつけているのではない事をアピール(笑)
そして参考書についていた、高齢の両親に書き込んでもらうといいよ、と紹介されていた専用シートをあらかじめコピーしていたものを渡す。
これまでずっと、終活・・・そういう縁起でもない準備をするとそうなるんや、と言ってまともに取り合ってくれなかった父も、私自身が書き込んでいっているというエンディングノートを見せると、「こんなんあるなぁ」と少し興味を持ってもらえたようだ。この食いつきの変化は大きいと思うし、何より母が色々話してくれているこの家族会議の場を、寝ずにそばでずっと話を聞いてくれていたのも、何気に良かったように思う。
この日、午前中の2時間半ほどはこのような話になり、各々に宿題が出来た。父母や少しずつシートに記入していく事、弟は終活の事もう少しアンテナ張ってもらう事、私は海洋散骨している葬儀社と、近隣で樹木葬をしている霊園をいくつかピックアップして、年内に家族で見学ツアーを実施を計画すること。そんな事を決めて終了となった。
一回目の終活家族会議としてはまずまずの滑り出しではないだろうか。
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