再々発発覚からの、1回目の入院~抗がん剤治療~退院(2泊3日)の顛末

親の闘病

予定通り、9/5(木)入院、9/6(金)抗がん剤投与、9/7(土)退院という事で、無事に済んだ。

それにしても9/5の入院の日は、長い一日になった。

私の自宅と実家との距離は車で1時間程度。
かかりつけの総合病院はちょうどその真ん中で30分程度の距離。
今回の入院は2泊3日と荷物も少ないので、父と母は電車とバスで病院へ。
入院手続き10時頃といった時間帯に着くと、ちょうど病室のある8階に案内されるところだった。

8階に上がると、食堂のようなフリーペースで病室に案内されるのを待つ。
11時頃に病室に案内された後、担当の看護師さんが挨拶と簡単な聞き取りなどに来て、「今回の入院でどのような事をするかわかりますか?」と本人の認識を問うような質問をしてきた。

そこで一般的にはどのように答えるのかな。淡々と何のために来て、どういう処置をする予定なのかを言えば言いと思っていたのだけど・・・

「ここまで来て、入院の手続きを進めてきたけど、この段になってまだ明日本当に治療するかどうか、悩んでいる。本当のことを言うと、治療したくない」

といった事を吐露する母。

いや先日確かに「ドタキャンになってもいいんじゃないか」と言ったよ、私は。
しかし本当にそれするん?

看護師さんはそんな事慣れっこなのかどうかわからないけど、
・14時頃、薬剤師からの説明があるので、不安な事などよく聞いてください。
・主治医の先生との面談も取り付けましょうか。今手術中で18時頃には終わると思います。
というような事を案内して下さって、その後、血圧や採血など、とりあえず入院初日の段取りだけは淡々と進める事になっていった。

入院しさえすれば14時くらいに帰れると思っていたけど・・・長い一日のはじまりを予感しました(苦笑)

12時になると母には病室で入院食が出たので、私は父と最上階の食堂へ行き昼食を取った。
父は今回の事も・・・認識しているのかしていないのか、悪いと思いたくないのか、
「外から見ると悪いようには見えない、3ヶ月とか言ってるけど、先生に脅されてるんやろう」
などと言っていた。それを聞いてなんとも返事を言えないまま、昼食を終えた。

14時に別室で毎回担当して下さる薬剤師さんの説明。
丁寧に説明して下さり、母はちょっと前向きになってきた。
1時間もかけて、母の話を聞いて丁寧に対応してくれた薬剤師さんに感謝。

16時頃、父が帰ると言い出した。まぁ帰るのに時間かかるし暗くもなってくるので気をつけて帰ってもらう事に。

窓の外の景色

窓の外がだんだん暗くなるなか、母と二人、フリースペースでおやつなどを食べながら、色々話した。
景色が暗くなるにつれ、母のテンションが下がっていってる?!後ろ向き発言が増えていった。

主治医の先生との面談は結局18時半頃になった。
長い手術の後だと聞いていたので「お疲れのところすみません」と挨拶した。

土壇場になって治療をやめるという決断もありと先生も言ってくれたものの、治療を一切しない場合や、治療着手が遅れていく事のリスク、一方で母が体が元気に動くうちにしたい事などのバランスを考えたら、治療した方が良いんじゃないですか?といった方向性の話になる。

母の逡巡がギリギリ・土壇場まで続いている事にも、先生はだいたいわかっていて下さっていて「まぁ、あなたらしいですよね」と苦笑。もうホント息子としては「すみません」という気分だった。

でも私も母が治療をしようがしまいが、母が本当の気持ちで選んだ方に寄り添いたい、と常々思っているのでどちらにも背中を押せずこのような逡巡を招いてしまっているのだろうな、という気もしていた。

結局のところ、癌の苦しみ・痛みよりも、抗がん剤の副作用の方がマシではないか、といったようなところの理由で予定通り入院治療実施、という事に決断してくれた。

そしてウチの子どもにおみやげ買っていけと、院内のコンビニでスイーツを買ってくれて、病院を後にしたのが19時半であった。

入院:9/6(金)は、パクリタキセル+アバスチンの点滴投与。約5時間くらいのはず。

9/7(土)、10時頃、退院の為、お迎えに行った。投与して翌日なので様子はまだ変わらない。
実家への帰途途中でスーパーに寄って、普段なら荷物になる買い物を済ませてもらった。
昼頃、父も含め3人で、スーパーで買ってきた弁当を食べたあと、父と母がくだらない事で言い合っているのをみて、『とりあえず日常が戻ってきたか』と思ったので、帰る事にした。
仲良く過ごしてほしいものだ。

とりあえず1回目の治療にこぎ着けて家に戻ってきたので良しとしよう。
この後、どうなっていくかわからないけど、母も毎日の過ごし方を今一度見つめ直してくれるだろうか。

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